どこにでもあるブログ。

感情が抑えきれないときここに書きます。

よだかへ

よだかへ

きみには存在価値がないのではありません。きみのくるしみはわたしにはとうてい分かりかねないものであります。そのためきみはこんなみもしらぬ他人の話など耳をかたむけないやもしれません。しかしぼくはきみにきいてほしいのです。なんだか別のひとのように話してしまいます。これはこの方がきみにつたわると思っているからでしょうか。わたしも浅ましいのです。しかしきみ。きみはちがいます。きみはいままで善いおこないをしてきました。かれらは褒めてくれるどころかけなしてきましたがきみは善いことをしたのです。また、それはイノセンスなものでありました。偽善的でなかったのです。だからきみはしぬひつようなどありません。きみの生はきみの生き様できみによって証明されているのです。ぜったいにだれかがみています。きみももちろんしっているし、きみ以外のだれかがぜったいにみている。きみのよさを知っている。だれかがわかりませんか。たとへばかわせみ。親類のかわせみはきみのことを知っている。よく思いかへしてみてください。かわせみはきみのことをとめようとしたのです。話をきこうとしていた。きみはまずかわせみにたよってみるべきです。いままでひとりでかかえこんできたのだろうと思います。それは、じつはとてもつらいこと。重いこと。きみは食物連鎖のしくみにきづいてしまひましたね。でも、たかとちがってきみは生きるためにたべているのです。きみはじぶんのつごうでむやみにいのちをうばったことなどありません。きみは、いきていて価値があるのです。きみはすばらしいのです。わたしが、こちらもなんの価値もないわたしですが保証したいと思います。価値のないわたしは、きみによって価値があるようになれるのやもしれません。きみは、それくらいわたしにとって価値があるのです。それは、きみが善い人だからでせうか?わかりません。ぼくはだんだんわからなくなってきました。きみもおもいこんでいるだけなのです、かんがえてみてください、きみのやうに純粋なこころでひとを助けたことがただのいちどもないぼくは、きみより価値があると思ひますか?ぼくには、ないとおもふのです。きみはどう思ふでせうか?ぼくはきみの意見がききたい。ぼくはきみと居たいのです。わかってみたいのです、きみの心の内を。価値なんて、ほんとうはぼくにはわかりません。だれもわからないとおもひます。きみはいまたかにころされることも、じぶんがうばったいのちも、たすけてもらえない世界も、すべてがおそろしいやうですね、そうぼくはみえるのです、かってに。だから、いちどぼくと話してほしい。それでなにが変わるかと思ふけれども、すこしのあいだだけ、ちがうことをかんがへてみませんか。そうしませんか。なんだかぼくは、そんな時間がとてもすてきなもののやうにおもはれるのです。

                                    名無し